@article{oai:yamagata.repo.nii.ac.jp:00001468, author = {岩田, 浩太郎}, journal = {山形大学大学院社会文化システム研究科紀要 = Bulletin of Graduate School of Social & Cultural Systems at Yamagata University}, month = {Mar}, note = {論文(Article), 本稿は、山形城下町商人長谷川吉郎治家の紅花取引の実態についてあきらかにすることを課題とする。山形城下十日町の長谷川吉郎治家は、山形水野藩の士格御用達に任ぜられ、幕末期の山形城下町において随一の経営規模を誇る巨大商人として活躍した商家である。近世後期~明治期における長谷川家の活動が山形藩政・山形県政をはじめ奥羽・東北地方(とくに東北中央・南部)の政治・経済・社会の諸動向に与えた影響は大きく、その経営や活動の解明はひろく東北近世史・近代史研究の進展のために重要な課題であるといっても過言ではない。従来、長谷川家の経営に関しては、今田信一氏が名著『最上紅花史の研究』において、同家の有力な出荷先であった京都紅花問屋最上屋喜八家の帳簿に出てくる同家の取引記録を用いてその紅花取引の規模や集荷に関する分析をおこなっているのが唯一の実証的成果である。同家の紅花集荷が仙南地方を中心に展開されていたことを指摘した先駆的研究である。しかし後述するように、同家は最上屋のほか、さらに広汎な京都・大坂の紅花問屋と取り引きしており、先行研究の予想をはるかにこえた内容と規模で紅花流通に関与していた。また、長谷川家は紅花のほか青苧・生糸などを奥羽で買い付け上方に送り販売し、上方より呉服太物・古手や繰綿・蝋・砂糖・荒物・小間物などを仕入れ奥羽に売り捌く巨大な「のこぎり商い」を実施する一方、金融・地主・鉱山などの経営も手広く実施していたと考えられる。新史料の発掘を進め、同家の多角経営の構造や地域の政治・経済・社会に対するヘゲモニーの実態に関する総合的研究を実施していくことが望まれる。, 本稿はこの課題の一環に位置づくものであり、まずその紅花取引の実態解明に焦点を絞り実証研究をおこなうものである。本稿では、宮城県柴田郡村田町大沼正治郎家に所蔵されている長谷川吉郎治家作成の紅花取引帳簿などを用いて、嘉永.安政初年における紅花取引の規模と内容をあきらかにする。とくに、長谷川家が紅花取引をおこなう際に基盤とした産地の地域範囲と集荷・出荷を担当した商人や組合形態の検証、取り扱った紅花荷の数量と原価・代金・純益の実態、などの考察をおこない、従来不明確であった同家の紅花取引の全体像に関する基礎的な事実確定の作業をおこないたい。従来、山形城下町商業の奥羽にまたがる広域的な取引については言及がなされることがあるが、具体的な実証研究は進んでいない。山形城下町商人に関する論述も多くあるが、個別商人経営の研究は少ないのが現状である。山形城下町には様々な経営規模の商人がおり、階層性が認められる。本稿は山形城下町商人のなかでも随一の巨大商人に関する研究であり、ある意味では特異な位置にある商人研究となるが、幕末期の山形城下町商人の経営実態と活動条件をその頂点的なレベルにおいて典型的にあきらかにする事例として重要であると思われる。また、本稿で取り上げる紅花取引史料は、ある個別の商人が一年間に出荷した紅花荷のほぼ全量を把握し、その産地や原価・販売価格・利益の実態を子細にあきらかにしうるデータとして重要であり、今後の山形城下町商人研究や全国の紅花流通史研究にとっても一つの比較の基準となると思われる。そのため煩瑣ではあるが網羅的な表を作成し、ひろく研究者の共通データとして供することとした。}, pages = {228--188}, title = {山形城下町商人長谷川吉郎治家における紅花取引の実態 : 嘉永~安政期を中心に}, volume = {1}, year = {2005} }