@article{oai:yamagata.repo.nii.ac.jp:00001656, author = {岩田, 浩太郎}, issue = {19}, journal = {西村山地域史の研究}, month = {Sep}, note = {論文(Article), はじめに 本稿は、羽州村山郡松橋村上組沢畑の堀米四郎兵衛家の四代当主の「遺書」を素材に、同家の経営発展と財産相続のあり方について考察するものである。明治六年立附米調査によれば、村山郡には立附米二〇〇〇俵以上の大地主が九家存在した。堀米家は立附米二二四五俵であり、同郡全体では第五位に位置した。天保一四年(一八四三)に堀米家の四代四郎兵衛は逝去した。四代四郎兵衛は多角的に経営を展開し同家を大規模豪農に成長させた人物である。「遺書」には同家資産の概略とその飛躍的な増大が記述されており、四代の家督期(寛政末.天保末)における経営発展の概要を把握しうる。また、「遺書」は堀米家カマエ(本家-分家)の形成と財産分与のあり方もあきらかにするものであり、天保期の大規模豪農の相続実態を解明する一素材として興味深い。さらに「遺書」には、四代四郎兵衛をとりまく様々な人間関係が凝集され反映されてもいる。同家を中心とした社会関係の考察にとっても貴重な素材である。以下、「遺書」の考察を通じて天保期における堀米家の経営と相続に関する基礎的考察をおこないたい。}, pages = {9--23}, title = {豪農堀米家の経営と相続(1)}, year = {2001} }