@book{oai:yamagata.repo.nii.ac.jp:00002992, author = {横山, 昭男}, month = {Sep}, note = {図書の1章, 『山形県の考古と歴史 : 柏倉亮吉教授還暦記念論文集 : 山形史学研究 第5・6合併号』(山教史学会, 1967年)p.182-203所収, 近世における河川舟運の著しい発展は、幕藩制的全国市場形成の一方の機動となった東西廻海運の整備を画期とすることはいうまでもない。輸送物資ははじめ幕領の廻米および私領米を主としたが、次第に商人荷物も増加し、その一つの極点として特定の都市商人・町問屋の急激な発達を中心とする所謂元禄の繁栄をもたらしたのである。最上川河口の酒田や中継河岸大石田などにその例をみることができる。小塙ではこの寛文・元禄期の最上川水運の発展が、一般に新しい商品流通をみるとされる中期以後にどのような変化と展開を示すかを問題とする。最上川は上は置賜盆地に接し、村山・庄内平野を貫流する物資移動の一大動脈で、主たる物資は流域諸藩の領主米であるが、その輸送手段を担う河岸問屋・船持商人の経営拡大は基本的には商人荷物の流通に規定された。反面商品流通の発展は水運利用の条件や統制に深い関りをもったことにも注意しなければならない。ここでは最上川水運の統制機関である用船差配役が、享保八年、上郷商人の手に成立する過程を明らかにし、それが後背地市場を代表する船持商人と幕藩権力の接点に於いて、どのような展開を示したかの検討を通して、近世中期における河川水運の性格を考えてみたい。}, publisher = {山教史学会}, title = {近世中期における最上川水運の発展と統制}, year = {1967} }