@book{oai:yamagata.repo.nii.ac.jp:00002993, author = {工藤, 定雄}, month = {Sep}, note = {図書の1章, 『山形県の考古と歴史 : 柏倉亮吉教授還暦記念論文集 : 山形史学研究 第5・6合併号』(山教史学会, 1967年)p.252-264所収, はじめに 酒田湊は、河村瑞賢による城米廻漕の改良以来、出羽国城米の集積・積出港として広く注目されてきたが、積出しの実体とその展開については殆んど明らかにされていない。特に商品流通の著しい展開を見る藩政期後半のそれについては個別的にふれるところ多いに拘らず、問題史的にせまる実証に乏しい現況である。その意味で阿部善雄氏の越後城米の輸送史、石井謙治氏の主として技術史的研究は本分野にとって貴重である。また渡辺信夫氏は最近の研究動向を把握したユニークを推論の中で、水蓮史を流通史の上に位置づけている。本小塙はこれらの優れた業蹟によりながら、酒田湊を起点にする北国海運史の一実証を試みようとするものである。いうまでもなく、出羽城米輸送史は(1)最上川水運史を中心にする集積史、(2)積出し特に仕向法の問題、(3)に、廻漕と大阪・江戸浅草蔵入れの実体と三つの部分に分けて考察することが便利であろう。(1)の最上川水運史については本巻に於いて他に考察する人を得ているし、第三の問題については史料的制限から他日を期し、ここでは主として第二の課題を追求することにする。従って、城米輸送史の一例に外ならないが、筆者の意図している酒田港の商業的機能の解明に接近することになる。そのためにここでは主として拙稿酒田市史史料第三集所収「盛岡藩廻漕録」を手懸りにしてゆく。}, publisher = {山教史学会}, title = {幕末における酒田湊城米廻漕の一例}, year = {1967} }